
ユダヤ人が世界征服のために記した「シオンの議定書」を分かりやすい表現に書き換えてみました。
シオンの議定書を読むと、近現代の日本をはじめ各国政府の政策にいろいろと思い当たる節があり、支配者の手の内が詳らかに分かります。
ここまで詳細に大衆の支配方法を記すことができたのは、彼らイルミナティと称する連中が、霊界の悪なる勢力、サタンとか悪魔とか言われているものから奥深い知恵を授かったからに他なりません。
現在、「シオンの議定書」「シオン賢者の議定書」は偽書だ、出鱈目だという説が大半を占めていますが、こんなにも具体的に細かく、それも大衆心理をトコトン知り尽くした上でわざわざ出鱈目の偽物を創作する必要などあるでしょうか。
これは確かに1903年にその存在を暴露された120年以上前の文書ですが、その内容は決して古びてはいません。
世界の支配層にとってのこの「極秘マニュアル」を私たち庶民も同時にその内容を把握して、彼らに対抗していかなければなりません。
元にした文書を意訳して大胆に書き換えている箇所もあります。あらかじめご承知おきの上お読みいただければ幸いです。
元となった文書はこちらからご覧になれます。
「シオンの議定書」の概要。ユダヤ金融資本の行動パターンが理解できる重要書です。https://rapt-neo.com/?p=11777
『シオンの議定書』概要(現代風にアレンジ)
【第一の議定】
空しい言葉遊びは置いといて、思想の本質を一緒に考えてみないか。比較したり推理したりして、物事をはっきりさせよう。
そうすることで、我々の思想が、ユダヤ人の立場と、非ユダヤ人=ゴイム(家畜=豚)の立場とで、どのようなものなのかはっきりするだろう。
この世界には、善良な人よりも、自制心がなく本能に流されやすい人間の方がずっと多い。だから、政治をする上で最も効果的なのは、あれこれ議論することではなく、「力」と「恐怖」だ。
人間はそもそも残忍な生き物だが、その獣を今までどうやって抑え込んできたのだろうか。社会が形成され始めた頃は暴力によって、その後は法律に従わせてきた。
しかし、法律にしたって、結局は仮面を被った暴力みたいなものだ。
自然の法則から考えると、正義は力だと言っていいだろう。
民衆というものは、どんなことも表面しか見ないから、非論理的なことや矛盾に騙されやすい。そんな者に、理性的なアドバイスとか説得をしたからといって何か実りがあるだろうか。
彼らは、浅はかで、迷信、習慣、伝統、感傷的な話にすぐ影響され、派閥とか仲間意識に陥りがちだ。これでは、どんなに理に適った合意に至っても簡単に壊されてしまう。
彼らの決議は、ほとんど偶然、または、表向きだけの多数決で決まることが多い。それは、政治の裏を知らないからであり、その結果、理に敵わない決議をし、アナーキズム(無政府主義)が浸透し始めるのだ。
モラルに縛られる政治家は、失格者だ。そんなことでは、権力の座は維持できない。政治家たるもの、絶対に策略と偽善を使わなければならない。
民衆にとって美徳とされる誠実や率直さといったものは、政治の世界ではむしろ罪悪でしかない。これこそ政権を転覆させてしまう要因だ。このような道徳感は非ユダヤ人の特性かもしれないが、私たちユダヤ人は、絶対にこれを見習ってはならない。
酔っ払って、自分を見失ってしまったあの動物たちを見てご覧。自由という概念が彼らに泥酔を許したのだ。もちろん、私たちユダヤ民族はこんな状態に陥ってはならない。非ユダヤ人は強い酒にひたって、馬鹿になっている。
彼らは若い頃に時代遅れの勉強をやり過ぎてしまって、頭がボーっとしているのだ。
彼らは、金持ちに雇われた家庭教師とかメイド、家政婦、娯楽施設の女たちからの誘惑に負けてしまっている。「貴婦人」と自称する女たちも同様に、快楽や贅沢に夢中になっている。
自由という虚しい観念は、「国のリーダーは民衆に選ばれた単なる管理者に過ぎず、使い古した手袋のように簡単に取り替えられるのだ」と民衆に思わせることに成功した。
彼らのリーダーを簡単に取替えられることは、まさに私たちの思う壺だ。
実際、代表者の任命は私たちの手の中にあるようなものだから。
【第二の議定】
戦争は、なるべく領土的な利益に繋がらない方がいい。そうすれば金で決着できるし、結果的に私たちの方が彼らよりも強いことを誰もが認めざるを得なくなる。
そうすれば、どっちの陣営も、世界中の至る所に配置されている私たちの代理人の意のままにされてしまう。この代理人は、目と耳がありとあらゆる所に無数にあるかのように、どんな国境も彼らの活動を阻止することはできない。
だから、私たちにとってそれぞれの国の法律は意味をなさない。法律が国民を統制するように、私たちが各国をうまくコントロールできるようになる。
非ユダヤ人は、歴史をじっくり観察したり考えたりすることをせず、結果だけを求め、画一的な理論にはまっている。だから、我々は彼らの意見を気にする必要はない。チャンスが来るまでは、彼らを楽しませてやり、新たな楽しみや昔の思い出に浸らせておけばいいのだ。
我々は、彼らに吹き込んだ科学の法則を信じ込ませて、疑わないようにさせなければならない。マスコミを使って、彼らが盲目的に信じるように仕向けるのだ。
非ユダヤのインテリは、自分の学識を誇りにするが、学説は全て私たちの代理人が集めておいたものである。それに気づくはずもないインテリ連中は、私たちに有利な方向に動いてくれるだろう。
国家というものは、世論を巻き起こす大きな力を握っている。
つまり、それを実現するのは新聞である。新聞の役割は、庶民の要求をはっきりさせ、庶民の不満を代弁し、不満を煽ることなのだ。
言論の自由は新聞によってもたらされた。しかし各国政府は、この力の使い道を知らなかったから、私たちの手に渡った。おかげで、私たちは新聞の影に隠れて、勢力を拡大することが可能となった。
新聞のおかげで、たくさんの金を手にすることができた。それは計り知れないほどの悲劇、流血の中においてである。
私たちは多くの同族たちを犠牲にしてきたが、私たちの仲間一人の価値は、神の前では非ユダヤ人の千人に値する。
【第三の議定】
我々は、権力者が自らの権力を乱用するようにと、いろんな勢力を独立させて、互いに争うように仕向けてきた。策略を巡らして、様々な派閥に力を与え、権力獲得こそが究極の目的なのだと思わせるようにしてきたのだ。
我々は、非ユダヤ人の国々を争いや大混乱に陥れた。そのうち、至る所で暴動や崩壊が始まるだろう。国会や会議場は、言い争いの場になってしまった。厚かましい新聞記者やコラムニストたちは、毎日のように政府を攻撃している。
権力者たちが権力を乱用すれば、当然制度は破綻し、その結果、勢いづいた民衆の圧力によって体制は崩壊するだろう。
【第四の議定】
非ユダヤ人たちに考える暇を与えないようにするために、彼らがビジネスに関心を持つように仕向けなければならない。そうすれば、みんな自分の利益に没頭し、自分たちに共通する「敵」に気づかないはずだ。
非ユダヤ社会を「自由」によって崩壊させるために、産業を投機の対象にしなければならない。そして産業が生み出した富は、非ユダヤ人の手から投機家を経由して、すべて私たちの手に収まるのである。
経済社会で勝ち組になるための激しい競争と市場での絶え間ない投機は、世の中から人情や思いやりの精神を奪うので、結果として冷酷な社会になるだろう。
そして、理想的な政治や宗教といったものに関心が薄れていき、金儲けが唯一無二の生き甲斐になるだろう。そうして、金で得られる非日常的な快楽を追い求め、金を絶対視するようになるだろう。
非ユダヤの貧乏人たちは、高尚な目的もなく、自ら稼ぐこともせず、私たちの目論見どおり、私たちの競争相手である特権階級の非ユダヤ人に対して、嫉妬心から反発するようになるのだ。
【第五の議定】
もしかすると、一時的に非ユダヤ人同士が結束して、我々を打ち負かすことがあるかもしれない。しかし、彼らの間には、無視できないほどの様々な対立や軋轢が根付いてるから大丈夫だ、私たちは救われる。
私たちは、2千年も前から非ユダヤ人の間に、個人的、国家的、民族的、宗教的な対立や憎悪が増大するように仕組んできたのだから。
いつの時代も民衆は、言論を行動だと錯覚しているものだ。
彼らは、感情に訴えることだけで満足して、約束がきちんと守られたかどうかを見届けない。だから、上っ面だけ立派な「特別委員会」でも作っておいて、親身になって協力して進めようとしているのだと彼らに見せつけておけばいい。
世論をコントロールするには、様々な立場から幾つもの相反する意見を出させて、非ユダヤ人たちの判断を迷わせるのが良い。そうすれば、政治についてはなるべく意見を持たない方がましだと思い込ませることができる。
つまり、政治とは実際に携わっている人だけが理解できるもので、民衆には所詮よく分からないものだと思わせるのが第一の秘策である。
第二の秘策は、非ユダヤ人たちの欠点、悪い習慣、欲望を増幅させ、社会生活の決まりごとを複雑化してしまうことだ。そうすれば、混乱して訳が分からなくなり、お互い理解し合えなくなる。
このように、我々は、人々の心にもめ事の原因を作り出すのだ。私たちに従わない集団を掻き乱し、個人で私たちの邪魔をする者は、骨抜きにしてやるのだ。
【第六の議定】
私たちは、産業をもっと保護すべきであり、同時に、投機を更に推奨しなくてはならない。 それは、投機によって産業を不安定にさせるためだ。
産業は、個人の資本を増大させ、農業分野の改良にもつながる。しかしそれでは農業銀行が地主に貸し付けたせっかくの債務が返済されてしまうことになる。
だから、産業がその土地から得ている富を取り上げ、投機を通して、私たちの手に世界中の富が収められるようにしなければならない。そうすれば、非ユダヤ人たちは金が底をつき、ただ生きていくためだけに、我々の前にひざまずくだろう。
彼らの産業を破壊するため、私たちは、投機だけではなく、極上の贅沢というものを彼らの間に広めるのだ。 例えば、華やかなものへの強い憧れ、財産を使い果たしてしまうような激しい欲望に駆られる超贅沢なものを。
【第七の議定】
私たちは、ヨーロッパ大陸はもちろん、他の大陸においても、暴動、争い、対立を起こさなければならない。 そうすれば、私たちは二重に利益を得ることができる。
第一に、どこの国も、我々が動きさえすれば暴動も、鎮圧も思いのままであることを悟り、私たちに一目置くようになるだろう。そして、私たちのことを必要悪だと感じるようになるに違いない。
第二に、私たちが政治的手段、金銭面での合意、債務関係のために各国政府機関に張り巡らしておいたネットワークを使って、陰謀を仕掛けて混乱させるのである。
この目的を達成するには、会議や交渉の場面において、抜け目なく様々な悪巧みを用いることが必要だ。しかし、表向きにはそれとは反対に、極めて物分かりよく、親切に振る舞うのである。
非ユダヤ人の政府当局者や庶民は、この表の顔しか知らないから、彼らはいつまでも私たちを恩人かつ救世主だと勘違いするだろう。
政治的に成功するための秘訣は、腹の中にあることを隠すことだ。
だから交渉人は、言行不一致でなければならない。
【第八の議定】
我々は、様々な分野の専門家、例えば新聞記者、弁護士、行政官、外交官、我々の特殊学校で教育を受けた人々の中で行動しなければならない。彼らは、社会の裏事情に精通し、政治的な言語を理解し、人間の深層心理と物事の急所を掴んでいる人間たちだ。
我々には、多くの経済学者を有している。彼らはユダヤ人教育の柱そのものなのである。私たちは、多くの銀行家、経営者、資本家、そして我々にとって大切な億万長者に取り囲まれている。つまりそれは、世の中はすべて金で動くということを意味している。
我々の仲間を政府の要職に就けることが時期尚早であれば、過去の経歴から見て一般人と隔たりのある者を代わりに配置する。
その人物が我々の指示に従わないようであれば、代わりに死刑か追放にでもなりそうな人間を連れてくればいい。このような人間は死ぬ間際まで私たちの利益を守ってくれるだろう。
【第九の議定】
非ユダヤ人の制度をいきなり破壊することがないように、我々は慎重に事を進めてきた。まず、正常なシステムに細工を施し、行き過ぎた自由主義を仕掛け、社会が不安定になるようにしたのだ。
つまり、私たちは裁判、選挙、マスコミ、個人の自由、特に真の自由の基礎とも言うべき「教育」を崩壊させた。私たちは、嘘であることを百も承知の上で、理論や学説を非ユダヤの若者たちに教え、彼らを騙し、愚かにし、腐敗させたのだ。
既存の法律を改正しなくても、条文を正反対に解釈することで、法律の意図を歪曲し、その結果、驚くほどの成果を上げた。まず、様々な法解釈によって法本来の精神が覆い隠され、最終的には政府までも混乱させ、法律をどう扱えばいいのか分からなくさせることに成功した。
そうして、法は文言に縛られず、良心で解釈するという理論が生まれたのだ。
もし、非ユダヤ人が私たちの計画に気づくようなことがあれば、武器で私たちを襲うかもしれないと皆さんは考えるだろう。しかし、我々は、どんなに勇敢な者でも震え上がるような最後の手段を持っている。
やがて世界の首都に地下鉄網が整備されるだろうが、いざとなれば、ここから首都の建物はもちろん、大事な記録や文書も全て爆破してしまえばいい。
【第十の議定】
我々が国家体制の中に、自由主義という毒を注射した結果、全ての機関が変質してしまった。今ではどこの国も、死に至る病「壊血病」に侵され、断末魔の苦しみを味わっている。
自由主義は、非ユダヤ人にとって健全だった専制政治を廃し、立憲政治を生み出した。皆さんもご存知のとおり、憲法とは闘争と対立を煽り、国の機能を弱め、独自性を奪う無益なものである。
議会も新聞も、国家の行動力を奪い、支配者を無用化してしまう。
それにより、多くの国で元首は廃れてしまい、共和制への道が開かれることになった。そこで私たちは、国王や君主といった今までの統治者ではなく、ロボットである大統領を作った。この大統領は、私たちに奴隷のように仕える者で民衆の中から選び出すのである。
これこそ、私たちが、非ユダヤ人の全ての国々の地下に埋設した爆薬なのだ。もうすぐ、私たちは大統領の行動についての責任規定を設ける予定だ。
責任を全て私たちのダミーに押しつけてしまえば、私たちは、何の心配もなく計画を推し進めることに専念できる。たとえ大統領になろうという者が減ってしまっても、候補者不足に陥ろうとも構わない。
どっちにしろ、争いが起こって国家は破滅するのだから。
「奴等を追い出してしまえ。争いの原因となっている国境だの、宗教だの、国債だのをなくして平和と安らぎをとり戻そう。こんな政府や国会では、どうしようもないではないか。我々を統一し、救済してくれる世界の王を与えよ」人々がこのように発言するように導くためには、ご存知のとおり、長い年月を掛けて工作しなければならないのである。
私たちは絶え間なくあらゆる国で、政府と庶民の関係を掻き乱し、混乱させなくてはならない。民衆を憎悪や闘争に陥らせ、欠乏させ、餓えに晒し、悪性の伝染病によってまともに生きられないようにし、結局、私たちの金の力と支配力に従うしかないように彼らを追い込むのだ。
庶民に一息つかせようものなら、このチャンスを逃してしまうだろう。
【第十一の議定】
クーデターは、我々にとって都合の良い憲法を瞬く間に成立させることのできる絶好の機会である。クーデターによって民衆が気が動転し、頭の中が混乱しているうちに、統一性のある新憲法を成立させるよう彼らに強制しなければならない。
大事なことは、私たちがどんな勢力に対しても全く無敵の存在であり、民衆の顔色を伺う必要などない上に、下手に歯向かえばすぐさま弾圧されてしまうと印象付けることだ。私たちは既に全権力を掌握しており、どんな理由があっても絶対に権力の座を明け渡すことはないと分からせてやる必要があるのだ。
そうすれば、彼らは恐怖のあまり眼を閉じて、事態を傍観するしかないだろう。
非ユダヤ人は羊の群れで、我々は狼である。狼が羊の群れの牧場に侵入したらどうなるか、よくご存知だろう。
羊は目を閉じてしまう。非ユダヤ人たちもこれと同じだ。
彼らが目を閉じるしかないのは、我々が彼らに、我々と敵対する者たちを鎮圧してしまえば、取り上げた自由をすべて返してやると約束するからである。しかし、彼らが自由を取り戻すまでどれ程長く待たなければならないか、改めて申し上げるまでもないだろう。
【第十二の議定】
どんな情報も、私たちの眼を通さずに公表されることはないだろう。
世界のニュースは、僅かな通信社によって集められ、そこで書き換えられてから各新聞社、諸官庁に流される。まだ全部を掌握しているわけではないが、やがては通信社が私たちの支配下に入り、我々が承諾したニュースだけが発信されるようになるだろう。
私たちは、既にほとんどの非ユダヤ人の学問やマスコミといった思想界を取り仕切っているので、彼らは私たちのフィルターを通して世界の出来事を見るようになっている。
哀れな彼らが「国家秘密」などと呼んでいるものは、私たちには全てだだ漏れなのである。それならば、私たちが世界の王として君臨した時には、いったいどうなってしまうだろうか。
新聞、雑誌、書籍といった、いわゆるジャーナリズムはすべて許可制にし、どんな些細なことでも、違反すればすぐに認可を取り消す。こうすればジャーナリズムは我々が握る教育手段になり、庶民がくだらない進歩や発展を夢見るたり、憧れたりすることもなくなるだろう。
私たちは、新聞を始めすべての出版物に、ページ数に応じて印紙税をかける。30ページ以下の小冊子には二倍の税を課す。こうすれば安易に出版されることを防げるし、特に私たちにとって害をもたらす情報を流す雑誌の数を減らせる。そうなるとライターは、ページ数の多い本を書かざるをえないが、分厚い本は退屈だし、値段は高くなるし、人は本を読まなくなるだろう。
しかし、私たちの出版物は、私たちに都合の良い方向へ世論を誘導するものであり、安い値段を設定するから飛ぶように売れてしまう。印紙税で著作を制御し、処罰で脅し、ライターを私たちの傘下におさめるのである。
それでも私たちに反抗する者もいるかもしれないが、出版社も印刷所も許可制にしてしまえば、事前に許可を受けなければ出版されることはない。
このようにすれば、私たちへの非難をあらかじめ把握することができ、敵が出版する前に我々が先手を売って反論することができる。出版と新聞は、もっとも重要な啓蒙の手段なのだ。
だから私たちは、これらほとんどの定期刊行物の所有権を獲得するのである。これにより民間新聞の害を取り除き、世論に継続的な影響を与えられる。
反対派の新聞雑誌が10あれば、こちらはその3倍、30で対抗する。
新聞は我々の政策を批判したり、攻撃したりするが、あくまでも表面に過ぎず、核心に触れるようなことはない。
また、表立って政府機関紙とも白熱した議論をしたりするが、それも政府機関紙が第一報で言い表せなかったことを、詳しく補足して報道させるためである。これについては、必要かつこちらに有利なときしかやらせない。
新聞に我々を攻撃させておけば、庶民は、「自分たちにはまだ完全な言論の自由がある」と信じさせることにもなる。
反対派の新聞は、無意味な馬鹿げた反対を唱える。
このような新聞に対しては、私たちの代理人が、「政府を批判する事実上の根拠が見られないではないか」といった意見を言うことで、我々にとって良い宣伝の場となる。このようなトリックは一般に分かるはずないので、我々に対する庶民の信頼を高めることにつながるだろう。
我々は、臨機応変に国政に対する世論を刺激したり鎮めたりすることができる。私たちは、ある時は真実、ある時はデマを流し、説得したり、悪用したりするのである。
それは庶民の反応を見ながらであり、事実に基づいて言うこともあれば、事実を否定しなければならないこともある。つまり、急がず、段階を踏んで慎重に進めることが重要なのだ。
このようなマス・メディアに対する一連の方策によって、私たちは確実に敵を征服するだろう。なぜなら敵は自分たちの主張を広めることのできる新聞を持つことができないからである。よって私たちは、彼らにまともな反論をする必要さえなくなるのだ。反対勢力による世論の動向を探るような記事も、必要とあれば、政府系の新聞で叩きつぶすことができる。
【第十三の議定】
我々に対する庶民の関心を逸らすために、マスメディアや大衆向けの娯楽を盛んにする。やがて私たちの新聞で芸能やスポーツがもてはやされるようになり、クイズも現われるだろう。
これらの娯楽によって、我々と争おうとする庶民の関心は、すっかり方向転換するだろう。このようにして人間は、次第に自ら考える能力を失い、すべて私たちの意のままになるのだ。一見すると私たちと関係ないように見えるものによって、彼らは新しい人生観を持つようになるのである。
私たちの権力が確立すれば、自由主義を夢想する者たちの役割りは終りを告げる。しかし、それまでは、彼らは私たちにとって大いに役に立つ。
私たちは、彼らが進歩的だと思い込んでいる空想を持つように今まで彼らを導いてきた。つまり、我々は「進歩」という言葉を使って、非ユダヤ人の愚かな頭脳を混乱させたのである。
何か物を発明するといった意味以外においては、「進歩」という言葉は真理を覆い隠すものだ。非ユダヤ人は誰一人としてこのことに気付いていない。もっとも真理は唯一ひとつであり、この世に進歩の余地などあろうはずがないのだ。
「進歩」という誤った思想は、神から選ばれた私たちしか持ち得ない真理を覆い隠すのに役立っているのだ。
我々の時代が到来した暁には、今まで我々が世界を混乱に陥れ、ついに我々の神聖な法に服させたこの一大事を、仲間の雄弁家が語ることになるだろう。
何世紀にもわたって私たちが計画し、実行してきたことを誰も気付かなかったが、そのときこそ、はっきりするに違いない。
【第十四の議定】
数世紀にわたる混乱の後にようやく手にした平和であればなおのこと、我々が支配することの有難みが分かるだろう。
非ユダヤ人の政治の欠点を残さず表面化させることで、悪政に対する強い嫌悪感を持たせるようにする。そうすれば、庶民は形だけの自由権より、気楽に暮らせる奴隷の方がましだと思うようになる。
完全な自由の権利は、長い間庶民を苦しめ、生活の道を奪い、罪の意識のない詐欺師たちに搾取させるがまま放置してきた。
我々が、非ユダヤ人国家を転覆させるために幾度となく彼らをそそのかして起こしてきた無益な政変に、彼らはうんざりしているので、何でも我慢するようになる。そして、どんなに奴隷のように扱われても、闘争や暴動による悲惨さを経験するのはもう真っ平だと考えるようになる。
我々は、先進諸国において不道徳な情報操作をしてきたが、我々が世界を支配するようになっても、しばらく放っておくだろう。それは、我々の崇高な理想と、彼らの醜悪さとのコントラストを際立たせるためだ。
非ユダヤ人指導のために教育しておいた我々の賢者たちは、計画を立て、スピーチし、回想録を残すだろう。そのようにして民衆の心を掴み、我々の意図した思想と学問の方向へ彼らを導くのである。
【第十五の議定】
我々は、世界各国に同時に革命を勃発させる。そして、既存の政府の無力さが決定的となったときから、我々の時代が始まるのだ。だが、これにはまだかなりの年月を要する。おそらく一世紀ほどかかるだろう。
しかし、我々の権力が確立した時には、反逆が起こらぬよう警戒しなければならない。武装蜂起する者どもは容赦なく皆殺しだ。
新しく秘密結社を設ける者も、死刑だ。ただし、我々の権力が確立するまでは、フリーメイソンの支部を世界各国に創設し、エリートと目される人物を引き入れる。この支部は重要な情報収集の場であり、メイソン全支部は、我々以外決して知ることのできない中央管理機構「イルミナティ」の下に置く。
各支部の代表者は、「イルミナティ」を覆い隠すために置かれるものであり、暗号や計画は「イルミナティ」から発せられる。
基礎を強固にするためには、権力の威光を強めなければならない。
しかし、人地を超えた揺るぎない権力だと認められるものは、「神の選民」というような、その源が神から発している場合だけである。
ローマ法王庁の他に、最近までこのような威力を持っていたのは、帝政ロシアであり、そのため、ロシアの皇帝ツアーリはローマ法王とともに、我々の最大の敵であった。
古代ローマの独裁官スラを思い出してほしい。彼はイタリアを血の海に変えてしまったが、イタリア人はスラの髪の毛一本さえ触れることができなかったのではないか。スラが抑圧した大衆は、彼を神のようにあがめた。
それは彼が並外れた完璧な権力を確立したからである。
彼が華々しくイタリアに帰還したとき、大衆は彼を絶対的な存在とした。
大胆かつ冷静に人民を抑圧してしまえば、誰も反抗などできはしないのある。
我々が表立って世界の支配権を確立したときには、その成果を踏まえ、我々の恩恵を示すためにも、法律を全て刷新するだろう。
我々の法律は簡潔明瞭、それに不変であり、あれこれ解釈に迷うこともない。だから誰でもこの法律を正確に理解できるのである。
我々の法律の決定的な特徴は、権力への絶対服従だ。
「やさしさ」は家庭生活にはふさわしいものだが、公的な社会に持ち込んではならない。
【第十六の議定】
大学は、我々の管轄外で力を結集する最たる組織であるから、廃止する。
代わりに、新しい政策方針に基づく大学を創設しよう。
学長や教授は、極秘計画により養成し、この計画からはみ出すようなことがあってはならない。彼らの任命には特別に注意を払い、我々に完全に服従させる。
政府や国家の問題は、すべて教育内容から取り除く。
これらについては、優秀な人物の中でもごく小数の者にだけ教える。
大学から、まるで文学作品を書くかのように憲法草案をこねくり回したり、政治問題に口を挟むような若造を輩出させないようにしなければならない。
愚かな庶民は浅はかにも政治問題を研究するが、そうして夢想家や不届者が生まれるのである。
もっとも今までは、体制を崩壊させるため、我々自身が、彼らが革命を起こすように教育してきた。しかし、我々が権力を握ったからには、破壊工作の要因となるような教科科目は、ことごとく取り除いてしまう。
我々は、若者を柔順にしつけよう。支配者を敬愛し、平和と安らぎを重視し、信頼させるようにするのだ。
我々は、古典と歴史の研究を廃し、未来社会の研究に興味を持たせるようにする。我々は、人類の記憶から我々に都合の悪い歴史的事実を抹殺し、非ユダヤ人政府の欠点が目立つような史実だけを歴史として記すこととする。
彼らの思考力を我々に隷属させるために、我々は、すでに「視覚教育」というものをはじめている。この視覚教育の主な狙いは、非ユダヤ人が脳を働かせただけでは物事を考えることができず、絵を見なければ何も理解できないような従順な動物にすることである。
【第十七の議定】
我々は、我々の信仰や道徳規則に背いた仲間を、評議会に報告する義務を負っているが、将来の我々の世界政府においても、同じように、全人類に罪人を告発する名誉ある義務を負わせるのだ。
このようにして、我々が意図的に非ユダヤ人社会に広めておいた職権乱用や贈収賄といった悪事を根絶する。
このような悪影響を広めたのは確かに我々であるが、それ以外に彼らの政治や社会を混乱させる有効な手段が他にあっただろうか。
混乱を招く効果的な方法は、秩序を維持する役割を担うべき高級官僚たちの視野を狭くし、権力を乱用させ、汚職に走らせるよう仕向けることなのである。
【第十八の議定】
我々の王は、目に見えない護衛によって守られる。
王が身を隠すのは陰謀を怖がっているからだといった考えを、庶民どもに起こさせてはならない。それでは非ユダヤ人支配者と同じように、王やその子孫が、将来、死刑を宣告されることになってしまいかねないからだ。
王を守るためあからさまにボディガードを配置するようなことは、その権力の弱さをさらけ出すようなものだ。
王が庶民を視察するときには、我々は群衆を装ってさり気なく王の周囲を取り囲み、他の群衆を近寄らせないようにする。このような模範を示せば、民衆もそれに倣って慎み深い態度をとるようになる。
しかし、誰かが人垣をかきわけて王に請願書を差し出そうとしたら、側近がそれを受け取り、大衆の見ている前で王に取り継がなければならない。
こうすることで庶民は、王が請願書に目を通し、王自ら国務に関心を寄せていると考える。王の権力と権威は、庶民が「王はご存知なのだ」とか「王はわかって下さるにちがいない」と確信する時にのみ保たれるものなのである。
【第十九の議定】
政治犯が英雄視されるのを防ぐため、我々は彼を窃盗や殺人罪など恥ずべき罪を犯した者たちと同じ席に坐らせる。
そうすれば、世間は彼らを特別扱いせず、軽蔑の眼差しで見るようなるだろう。
【第二十の議定】
最良の課税方法は、財産に対する累進課税をかけることだ。
そうすれば、財産に応じて手間をかけずに税を徴収できる。
金持ちは国が彼の財産を守り、「正当に」富を増やすことを保証してくれるのだから、当然、財産の一部を国家に納める義務があると考えなければならない。ここで「正当に」とわざわざ断ったのは、法的手段を悪用した方法で富を得るのを許さないという意味である。
これは時代に沿った不可避な改革であるし、社会の平和と秩序を保つためにも、真っ先に、しかも超富裕層から手を付けなければならない。
貧困階級に対する課税は、革命を起こすきっかけとなり、なんら益をもたらさない。国は少しばかりの収入に固執したばかりに、世論という大きな獲物を取り逃がしてしまうことになる。
累進課税は、個人の富の増大を防ぐだろう。
我々が現在、富を資本家に集中させているのは、非ユダヤ人政府の力があまり強くならないように、国の財産に対抗する為なのである。
国債の発行は全て、政府による行政運営の誤りであり、権力を正しく行使しなかったという証明である。つまり自らの力不足や無能を告白したというべきだろう。
「ダモクレス(下記参照)の剣」のように国債は、いつも支配者の頭上にぶら下がっているのである。
<紀元前4世紀の古代ギリシャの植民都市(現イタリア)でのエピソード>
王の権力に憧れていたダモクレスに対し、王は宴会の席で一日だけダモクレスを王座に座らせた。しかし、その頭上には、たった1本の馬の尾の毛で吊るされた抜き身の剣があった。いつ剣が落ちてくるか分からない状況に置かれたダモクレスは、権力に伴う常に身に迫る危険や不安を悟り、恐れをなして王座を辞退したと言われている。
彼らは、民衆に臨時税を課せばいいのに、我々ユダヤ人の資本家に嘆願してくる。そして外国債権を発行するのであるが、これは、国家に食いついた蛭のようなもので、なかなか払い落とすことができない。
蛭を振り払う力は、すでに非ユダヤ人政府には残っていないし、ついにたくさんの蛭に血を吸いとられて、出血して死んでしまうほかなくなるだろう。
【第二十一の議定】
公債発行に際しては、まず購入の申し込みを受けるが、一般の誰でも買えるように額面を安くする。
最初の応募者に対しては割引きをする。売り出しの翌日は、申し込みが殺到したという口実を作り、人為的に価格を釣り上げる。数日後には予定額に達し財務省の金庫は一杯で、もう金をしまう場所もないと発表させる。
すると「それならなぜ申込みを受付けたのか」と詰問されるだろう。
もちろん「申込額が発行予定額を数倍も上回ったからだ」と答える。
これによって、庶民が政府の債権をいかに信用しているかということが全国的に知られるようになる。このような芝居をしても良いが、債務はたっぷり残ってしまう。
利払いから逃げる方法は、当然、再び新公債を発行することである。
すると債務と利子の負担がさらに増える。
そして公債発行能力も限度を越すと、新しく税を取り立てる他なくなる。
しかしそれでも利払い程度しか賄えず、公債の元金返済までには至らない。
いわば新税も借金のための借金なのである。
【第二十二の議定】
我々は、現代社会における最も偉大な力「金」を持っている。
二日もあれば、我々は必要なだけの金を、耳を揃えてお見せする。
我々の世界征服が、神の御旨によることを、これ以上証明する必要があるだろうか。我々の偉大なる富は、今まで幾世紀にも渡って重ねてきた悪事を、きれいさっぱり洗い落とし、人類の真の幸福と秩序のために役立つのだ。
多少の暴力を伴うかもしれないが、秩序は確立する。
我々の法律にさえ従えば、苦しみばかりのこの地上に、真の幸福と自由をもたらし、平和と秩序を与えるのである。
しかし、自由とは当然、やりたい放題ということではないし、信教の自由や平等権などの標語を掲げたところで、平和を実現できるわけでも人間の尊厳が保たれるわけでもないことを知らせなくてはならない。
【第二十三の議定】
繰り返しになるが、民衆は自分たちとかけ離れた強大な権力に対してだけ絶対的に服従するものだ。この強い力こそ社会的混乱から自分を守ってくれると信じるのだ。
彼らは王に対して優しさなどは望んではいない。
彼らが求めているのは、絶対的な権力者である。
現在の非ユダヤ人政府を中心とした社会は、我々によって衰退させられ、「神」まで失い、至るところで政治的秩序の崩壊が進んでしまっている。
【第二十四の議定】
我々は、シオン賢者(ユダヤ人指導者)たちが、あらゆる障害を乗りこえながら世界の問題を処理し、人類を導いてきた英知に学ぶだろう。
それは、我々が望む方向に人間を教育するということである。
ダビデの子孫にあたる賢者たち数名が、王とその後継者の教育を担う。
王権は世襲制ではなく、個人の素質、能力に基づくようにする。
選ばれた者たちに政治の要点・核心を教えるのだが、その際、他の誰にもその秘密が洩れないようにしなければならない。
こうして、政治はその秘訣を知ったただ一人の者によってのみ行われるという原則が保たれる。