ハプスブルク家は旧皇族・伏見宮家が創設した!!

世界史に詳しくない私でも、ハプスブルグ家とはヨーロッパの名門貴族だということは何となく知っていました。

しかし、日本の皇族がハプスブルグ家にかかわりがあるとは思いもよりませんでした。

 

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ハプスブルク家といえばヨーロッパ随一の名門王家と謳われる貴族です。

このハプスブルク家は、実は天皇家の親戚である旧皇族伏見宮家が創設したことが明らかになっています。

伏見宮家の初代当主である伏見宮栄仁親王の息子、治仁親王が渡欧してハプスブルク家に入りました。

そして、治仁親王が産ませた子供であるフリードリッヒⅢ世が、神聖ローマ帝国皇帝につき、その子孫がスペイン・オーストリアハプスブルク家となったのです。

また、ハプスブルク家重臣ハインリヒ・グーデンホーフ伯爵と青山みつの間に、クーデンホーフ=カレルギーが生まれました。

カレルギーは「世界連邦運動」の最初の提唱者であり、EUの前身である「汎ヨーロッパ連合」の生みの親ともなりました。

 

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崇光天皇の孫にあたり、血統では北朝伏見宮治仁親王(1381~1417偽装死)は、まず、ポーランドのマゾフシェ公領にはいり、公女のツィンバルカ・マゾヴィエツカ(1394/7~1429)と出会い、のちのフリードリッヒⅢ世(1415~1493)となる王子を儲け、アルザスにゆき、エルンスト鉄公(1377~1424)になりすまして、膨大な黄金ファンドを伴ってハプスブルク家に潜入したといいます。北朝皇統の治仁親王の子フリードリッヒⅢ世の子孫は、カール5世、日の沈まぬ帝国を作り上げたフェリペ2世にいたるスペイン・ハプスブルク家(~1700断絶)と1806年まで神聖ローマ皇帝の地位を独占し、さらにはオーストリア皇帝としては1918年まで地位を保ったオーストリアハプスブルク家に分かれますが、ヨーロッパの歴史、ひいては世界の歴史を作り上げることになります。

 

神聖ローマの皇帝を日本の皇族の子孫が独占していたなんて!日本の教科書では恐らく触れられていないのではないでしょうか。

王族や皇族が近親婚を繰り返すのは、優秀な子孫を残すためだといわれていますが、それは大きなリスクを伴う賭けに他なりません。

現在の日本においては、近親者間の婚姻届は受理されないそうです(民法)。

聖書では近親間の結婚や性行為を厳しく禁止しています。
参考:旧約聖書 レビ記 第20章11節~21節

顎がしゃくれるなど外見的に著しい特徴が現れるのは、ある意味神様による裁きの結果なのかもしれません。